”おおきな木” 訳者違いの本が2冊も出版。違いは?
先日、某テレビ番組で特集していた、”おおきな木”。
作者、シルヴァスタインの原作もの(①)と
本田錦一郎(ほんだきんいちろう)訳もの(②)
村上春樹 訳のもの(③)
があるそうです。
一体、何がどう違うのか?
気になります。
①シルヴァスタインの原作 (初版 1964年)
②本田錦一郎(ほんだきんいちろう)訳 (初版1976年)
③村上春樹 訳(初版2010年)
すべての文章を掲載するのは不可能ですし、
ぜひともご自分の目で読んでたしかめていただきたいですが
しいていえば、
”the tree was happy”
の訳し方でしょうか?
②ほんださんは
”きは それで うれしかった”
③村上さんは
”それで木(き)はしあわせでした”
となっています。
また、あとがきですが、
②ほんださんは、
原作者 シェル・シルヴァスタインについて幼少時代からこの本を書くまでに至った経緯から、著/エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を用いて、「愛すること」は「与える」ことである、という観点から、この”おおきな木”を分析している文章を掲載しています。
③村上さんのあとがきは
シルヴァスタインはこの本を誰でも簡単に内容をのみこめるわけではないもの、つまり、子どもに向けて「お話」を書いているわけではなく、自分自身に向けて書いていると分析しています。また、多くの人の心を打つものは、言葉ではうまく説明できないものであり、だから、読者がどんな人であれ、どんな感想を持ってもかまわないと書いています。
と、まぁこんな違いしか気づきませんでした。
私個人の感想ですが、
我が息子はとにかく抱っこ好きで(どの子も好きだと思いますが)、スキさえあれば膝に乗ってくるこでした。あるとき、満足そうにしている息子に
「今、どういう気持ち?」と聞いたことがあります。
恥ずかしいはなし、私にはどんな気持ちか分からなかったのです。
すると、
「うれしいきもち」と返ってきました。
ほんださんの訳、”うれしかった”という表現で思い出すのはこの一件です。
なので、この訳は好きです。